相変わらず死にたいですよね
毎年この時期は死ぬことばっかり考えている気がします
わたしは小6くらいのときからずっと死にたい死にたい言ってまして、
でも26まで生きてしまいました。どっしり。
数日前に読んだ作家と精神科医の対談本の中で
「死にたい死にたい言う奴ほど死なないよね」とか「発達障害ってただの欠陥なのに特別なものを持ってる感アピールするよね」みたいな発言がありダブルパンチくらってしまい、ここ数日死にたい感がアップしてます。
わたしは一日のうち70%くらいは嫌なことを思い出しており、なんかそういうことが死にたさにつながってるんですよね。こんな疲れた夜は死にたさもマシマシです。
きょうは瓦を特産品にしてるところへ行ったんですが、ポスターの「瓦ぬ思い」というキャッチフレーズを「死ぬ思い」に空目しました。
そんでおもったんですが昔からこういう悲観的な見間違えや勘違いが多い。
いきなり話しかけられると「怒られる!」と反射的にびくっとしてしまったり(予想はほとんど外れる)。
以前私が某美術館に行ってきたって話をしていたら
「いま何してるの」と、そのときの企画展の内容を聞かれたのに
「無職ですけど・・・・・・」と仕事をしていないことを責められたかととっさに誤解し珍回答してしまったこともありました。
あと基本すれ違う人の半分くらいは怖いです。
じぶんと違う心を持っているってだけで結構怖い。
わたしの見てる世界ってなかなか最初の一人が死なないホラー映画みたいな感じです。
だれもまだ死なないんだけどずーっと不穏なんです。
だからかなり神経張って生活してます。
死にたい死にたい言いますが、そんで拳銃こめかみにくっつけてバンってやるイメージ1時間に一ぺんくらいしますが、それはなんかどんどん悲観的になってゆく思考をいったんリセットさせるためって感じなんですよね。
頭ん中が悲観的な連想でつねに忙しくて刺激にもよわく気を使いすぎでへろへろです。
以上死にたい死にたいいうわりには死なないやつの言い訳でした。
もちろん世の中の人は発達障害の有無にかかわらず大変でしょう。
わたしのほうが大変って言いたいわけではなく、わたしもあなたも大変ですね、って感じなんです。
ネットですごい良い文章見つけました。
「傷を愛せるか」という本の一節らしいんですが、
その本は明日買いに行くので孫引き(?)をお許しください。
なんか泣けました。
『傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい。傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい』