きょうある人に対して、
「あ、嫌いかも」
と思った。
それまでは感じの良い、清らかな雰囲気の人だなぁと好印象を持っていた。
そして
「嫌いかも」
と思った後もその印象は変わらないのだ。
つまり
そのひとに非は何一つないということ。
で、
極端に言うとわたしはそのひとの
「感じの良さ」や「清らかな印象」が
ずーーーーーーーっと
変化しないことに、イラッと来たのだと思う。
「嫌いかも」
と思ったとき正直驚いた。
だってそのひとの「好印象」はずっと崩れないままわたしの中にあるから。
ふだんは見せない、別の顔が見えるとひとはうれしいものだと思う。
毒舌な芸能人が優しく笑ったときとか
こりん星は実は千葉にあるんだと教えてくれたときとか
そのひとのオフィシャルなイメージがちょっと崩れるそのときに、
ひとは嬉しくなったりそのひとを好きになったりするのだと思う。
ちょっと毒を吐いたり、
ちょっと自慢してみたり、
ちょっと着飾ってみたり、
この同調圧力の世界から
逸脱してほしいと思う。
ずーーーーーっと「感じの良い人」でいることを変えずにいるそのひとを見ていて、
好印象を与え続けるとむしろ嫌われるな、と気づいた。
なぜなら好印象を与え続けるためにはいろんなものを抑圧しなければならず、
(自慢してはならない、謙遜せねば、悪口を言ってはいけない、気を配らねばならない……etc)
~せねばならない、あるいは、~してはならない
といういろんな抑圧が
そのひとのまわりを目に見えない臭気で覆うから。
その臭気はまわりまで息苦しくさせるから。
むずかしい。
ああ、でもだからお酒の席って恋を発生させるのかもね。
抑圧していたものがほどけるから。