帰り道、ひさしぶりに百貨店へお買い物に行った。
個人的に自粛していたのだ。
大好きな店員さんにも会えた。いつもコーヒーをいれてくれる。
対面式のカウンターはなくなってしまったけれど、
すこしお話しは出来た。
「百貨店で働く人はいまの時期、ピリピリしそうですね」と訊いたら
「すごくこわいです」と言っていた。このあいだのセールの時もたくさんお客さんが来て、こわかったらしい。
そのひとはまっすぐなひとで、だからすごくまっすぐに「こわいです」と言っていた。
なんだかいま思い出して涙が出てきた。
「こわい」たしかにそうだった。
「こわい」よね。
「すごくこわいです」とわたしに言ってくれたこと、
それが時間が経っていま、わたしの胸に広がってゆく。
同情して涙が出てくるわけじゃない。
「すごくこわいです」という、子どものような純粋な弱音が、
どこかで張りつめていたわたしの心を溶かしてくれて涙が出る。
そういえば次に百貨店でお買い物できるのはいつになるだろう?
そのひとのコーヒーを飲めるのはいつだろう?
もしかしたら当分先になるかもしれないのに、
いままで帰り道にしょっちゅう寄ってコーヒー飲んでたのがもう体に染みついてて、
とくに何も言わず店を出てしまった。
店員さんのあの「こわいです」にも、わたしは「はぁ」とかしか言えなかった。
「乗り越えていきましょうね!」
とか、明るい締めの言葉でも言えばよかったのに軽く会釈しただけだった。
さいきんこういう「次会えるのはいつになるかわからないけど」
ということを忘れて、大好きな人たちと、いままでどおりにすっとさよならしてしまう。
習慣はこわい。また来週もいつもの場所で会えると思い込んでいる。
言い忘れた言葉に気づき、淋しくなるのは後から。
もうすこし、思いを伝えるのが上手くなりたい。