偶然日記

いまのテーマは愛と適切な距離感♡

午前3時に目が覚めてそれから、眠れない

リビングと母の寝室を行ったり来たり

母が目を覚ますのが待ちきれなくて

7時過ぎ、起こしに行く

 

昼、母がテレビで映画を見ることすらさびしくてしてほしくない

ほんとうはいっしょに踊りたい

眠れる森の美女の曲で

 

夕方、こたつに脚を入れて横になっていると

それが階段を下りてくるのがわかる。

鬱……。

そうして鬱はわたしの横に居座る。

なつかしい鬱。

こんにちは鬱。

ひさしぶり鬱。

 

鬱は心臓の鼓動を、音のする重い沈黙に変える。

この重みを、

抱えてわたしは、

 

 

 

 

 

「星野君のヒント」田村隆一

 

「なぜ小鳥はなくか」

プレス・クラブのバーで

星野君がぼくにあるアメリカ人の詩を紹介した

 

「なぜ人間は歩くのか これが次の行だ」

われわれはビールを飲み

チーズバーガーをたべた

コーナーのテーブルでは

初老のイギリス人がパイプに火をつけ

夫人は神と悪魔の小説に夢中になっていた

 

九月も二十日すぎると

この信仰のない時代の夜もすっかり秋のものだ

ほそいアスファルトの路をわれわれは黙って歩き

東京駅で別れた

「なぜ小鳥はなくか」

ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた

非常に高いところから落ちてくるものに

感動したのだ

そしてまた夢のなかへ「次の行へ」

ぼくは入っていった

「真理に照らしてこう言おう。あなたが、あなたのわざを天国のためとか、神のためとか、あなたの永遠なる浄福のためとか、つまりは、外に立てたものからなすかぎり、あなたはけっして正しくはないと。たしかにひとはあなたを認めてはくれるであろうが、しかしそれが最善なことではない。なぜならば、内面への沈潜、敬虔な祈り、甘美な法悦、あるいは神の特殊な恩寵の内にあるほうが、かまどの火のそばや、うまやにいるよりも、多くのものをうることができると思い違いをするならば、あなたも、神をとらえ、その頭にマントをかぶせて腰かけの下に押し込めてしまうようなものだからである。

なぜならば、神をある仕方で探す人は、その仕方を手に入れるだけで、その仕方のうちに隠れる神をとらえることがない。しかし神を、いかなる仕方もなしにさがす人は、神をあるがままの姿でつかむのである。そのような人こそ、子と共に生きる人であり、つまりは命そのものなのである。だれかが命に向かって千年もの間、「あなたはなぜ生きるのか」と問いつづけるとしても、もし命が答えることができるならば、「わたしは生きるがゆえに生きる」という以外答はないであろう。それは、命が命自身の根底から生き、自分自身から豊かに湧き出ているからである。それゆえに、命はそれ自身を生きるまさにそのところにおいて、なぜという問いなしに生きるのである」

 

エックハルト説教集』より引用

おいしいお茶

何者かになりたい、

ってみんないつまでも思っているものなのかな。精神が未熟なうちだけかな。

 

幼馴染と会って、春から保険会社に就職すると聞いて、いま、この真夜中落ち込んできて、ひさしぶりに自殺を考えた。

美術館の仕事を辞めてから、まだ就職先が決まっていない。

来月から大好きなギャラリーで時々店番をするけど、そこではお金はもらえないし。

でもお金のためじゃないんだ。

 

美術館でお客さんの質問に答えたり、ガイドをする仕事をしていて、楽しかったけれど、「君は学芸員じゃないんでしょ(笑)だったらわからないだろうから質問しない」とかおっさんに言われたりして、なんだか、何者でもない、何の資格もない自分を心底変えたくなった。

 

いま、車の運転免許すら取れなくて中学不登校からの再びの挫折。

 

 

すごく大好きな中国茶のお店があって、店主の女性がきれいな、堂々とした手つきで、おいしいお茶を淹れてくれる。きょうもそこで頂いてきた。

 

わたしはおいしいお茶すら淹れられない。

 

いつもいつも自分を責めていて、

眠たいのに床に就くことすら許せなくて、

読了しなきゃと思っている本を読んでいたらどうしても許せない言葉を思い出して

何者でもない自分に

いつもおどおどきょろきょろしている自分に心底嫌悪して、

これ以上卑下できないくらいに卑下してるからもう死ぬしか卑下の方法はなくて。

 

でも。

 

このあいだ、詩集を開いて、お友達に詩を一つ送ってみた。

彼女のことをイメージして、あたたかくやわらかい、パンの詩にした。

「ありがとう。泣いちゃった」って言われた。

 

そのすこし前に知り合いの個展に行って、感想をラインで送ったら、

「まりなちゃんはその人がうれしいことを言ってくれる才能があるね」って言われた。

 

なんだかそのふたつに、共通する希望的未来があるような気がして、

まだ死にきれないんだ。

 

 

nomikomu umidasu

「女というのは魂につけることのできる最も高貴な名前である」

エックハルト説教集というのを読んでいたら、こう言っていたんだよ、エックハルトが。

 

 

 呑み込むと、

生み出す。

 

わたしは子どものころから、車は運転しないと固く誓っていた。

車は恐ろしい、ちいさな、無力なひとびとをひき殺し、ばらばらにし、伸ばし、ぼよぼよにし、あるいは生殺しにし、火だるまにし、欠陥させ、沈黙させる。

 

きょう教習所で、赤い車の中で、

わたしはボロボロ泣いた。

こわいんだ、最終試験で40キロ出すなんで無理だよ。坂道なんて登れない。

 

指導員に連れられて、ロビーに行って、教頭が出てきて、「落ち着いてください」と言われた。とっくに泣き止んでいるのに。静かに泣いていたのに。

 

わたしはね、

月を見ながら歩くのが好き。

月とわたしは

一直線に結ばれてる。

それだけでいいと思ってしまう。

お父さん、

教習所辞めていい?

 

世界に伝えることがあるとしたら、

 

あるとしたら、

 

わたしは月を見ながら歩く夜の豊かさを。

目の前の優しい人だけに、伝えたい。

21歳の書き残し

21歳のとき、I君に恋をしたのだけれど

朝方、そこで書き残したメモが見つかったので、ここに。

いまわたしは24歳だから、3年前だね。

 

 

「9/13

やっぱりI君のことすきなんですけど 好きとかそういう形におさめたくなくて、

ひとつの、広くて伸びやかな、奇跡みたいなこととして とらえたいと思った。

あんなに優しくて純粋な人に出会ったのは初めてで、世界のすてきさを示してくれたことは、とてもありがとう。

そういう事件

きっとすてきな家庭を築くんだろうな。

でも汚いところだってあるよ。

誰にしたって。

あんまりお互いを神聖化していると、

神聖なイメージを守ろうとして、

深く立ち入れない。かもしれない。

 

しかし 男女が迷い込む道に入らず

うつくしいとうめいな領域を守ってゆく

維持させてゆくカンケイもいいと思う。

生きてゆくにあたってすごく支えになる。

ありがとう。

 

女性性の再発見/マリオン・ウッドマン著

すごくおもしろい! おもしろいとおもうが、まだわからんけど

これはタメになるかも……。

でてくる女性ってでも肥満なのかな?

体重近いけど…。

私って肥満なのかな。

うーん。

ちがうと思う。

ハハはちょっと肥満だと思う。

小説書くゾー。

Iくんからメールくるかな。

来ないなあ。」

 

月とわたしの関係

月を見上げながら歩く、月がついてくる

寒くて頬の毛穴がきゅうっと縮まっているのを感じるような、冬の夜

ぽうっと広げた口に紺色の空が流れ込んできて、

月と、わたしだけの関係。

 

そんな夜の散歩が好きだ。

好きだった、中学の頃、高校の頃、

今月のはじめ、中学の頃住んでいた地でひとり、数日暮らした。

お気に入りのコーヒー屋さんができて、21時を過ぎると、そこまで35分かけて、歩いて行った。

みんなが「すぐそこ」まで車を使ってゆくような地。

30分以上あるいて毎晩コーヒー屋さんに行ってると言うと驚かれる地。

 

月がついてきた。

歩いていると、ずっと、月がついてくる。どこまでもずっと。コーヒー屋さんまでずっと。

冬の空は澄んでいる、とひとびとは言う。そうかもしれない。

田舎で、昔からの平屋がずっと並んでいるから、月は隠れることなく、ずっとついてくる。

そうだった。

10代の頃、こうして、月を見上げながら、歩いていた。

24歳になったいま、また月を見上げながら、歩く。

わたしはこの地に住むことになるかもしれない。近い将来。

いや、この地じゃなくても、月がついてくる場所に、住むことになるかもしれない。

そうしたい。

そんなことを思った。

 

それから家に戻って、

きょう、家までの道を一人、月を見上げながら歩いた。

月はついてきていた。

薄い、ヴェールのような雲が濃紺の夜を引きずり、月を隠したり、影を落としたりしていた。

それに合わせて月も、引っ込んだり、顔を出したりする。

雲の動きはヴァリエーションに富んでいて、なめらかだった。

 

夜の散歩は月とわたしだけの関係。

 

顔をあげながら、もうすぐ満ちる月をみつめながら、月に尾行されながら、

月が雲によって姿を消したり、現れたりするその繰り返しをただ見ていると、

いつのまにかわたしと月の間に背の高いヤシの木が表れて、

その結婚式場の前のヤシの木は、顔を上げたわたしの視線の先の月を隠す。

 

そのとき思った。

わたしも月からしたら、

ヤシの木や、ビルや、雲によって、姿を隠したり、現したり、している。

 

わたしも月ではないか、

と閃きのように思った。

 

そしてわたしは月の満ち欠けとじぶんの生理周期が呼応していることを、

ひそかに自慢に思っている。