偶然日記

いまのテーマは愛と適切な距離感♡

愛してほしい

すっ、

と、男の人から連絡が来なくなった。

 

そういうことの繰り返しで、これまで、男の人とはセックスでしか繋がったことがない。いや、そのセックスでも、繋がれたという実感はない。わたしはあばずれと言われても仕方ない経歴だけれども、セックスの仕方がわからない。順番とか、どういうふうにセックスの流れに持っていくかとか、キスの仕方すらわからない。なぜならセックスの最中の記憶があまりないから。ものすごい快感で理性がぶっ飛んでるとか、ドラッグきめちゃってるとか、酒におぼれてるとか、そういうことでは一ミリもなくて、セックスの時、感情や感覚をオフにしてるんだとおもう。男の人と会話すると、「おそろしいほどよそよそしくまったく目を合わせない」と言われてしまうわたしに、開放的なセックスなんてできるわけがない。

 

話は戻るけれども男の人から連絡が来なくなった。

2か月前くらいから、ぱたりと、こなくなった。

tinderで知り合った話の面白い、頭のいいひと。

すごい癖毛でアフロみたいなんだけれど、坊主にしてる。

一度しかあったことないから、それくらいしか語れない。

 

でもほとんど毎日、メッセージのやりとりしてた。長文の。

わたしは文芸学科で文章書くの大好きだから、ついラインとか長くなってしまって、

それが重かったのかもしれない。暑苦しかったのかもしれない。

 

「またもう一度お会いしたいのですけれど来月空いてますか?」

とラインを送ったら、

「来月は予定がいっぱいで空いていないけれど調整してみます」

と返事が返ってきて、それきり。

 

べつにわたしそのひとのこと好きじゃなかった。

もしかしたらアムウェイとかじゃないかって疑う気持ちもあったし。

そもそもあんまり知らないし、そのひとのこと。

 

でも10月28日から返事が返ってこないことを思い、

まいにち、いっしゅん、悲しくなる。

湯船の中で、そのことを考えては、死のうってなめらかに思ってしまう。

いまもわたしの髪の毛は湿っていて、

なぜならさっきまで2時間も湯船につかっていたから。

浴槽のふちに足だけ出して、

溺れるように死のうって、

この先も愛されることなんてないのだから死のうって、

慰めるみたいに希望みたいに死のうって思った。

数日にいっぺん、

こんなふうに死のうって思う。

 

明日のこともわからないのに、

24年間愛されなかったから、

この先も愛されることないだろうって未来予想。

 

愛されたかった。

かわいいね、ってたくさん言って欲しい。

あのひとのことは、別に好きじゃなかった。

でも連絡が来なくなったってことは、そのひとの生活の中で、わたしの優先順位が低くなったってことで、軽んじられたってことで、そんなふうに、

「無いわ」

って、ごみ箱に入れられたんだって思うとわたしは涙が出る。

 

愛されたかった。愛されたい。

かわいいってたくさん言って欲しい、

カウンセラーさんも、カフェのとなりの席の人も、

このあいだあったあの人も、お客さんも、

秋に職場で出会ったあのひとも、もっと連絡をちょうだい、

主治医も、バーテンも、お母さんも、

お父さんも、

すれ違う人も、待合室のひとも、

過去の上司も、先輩も、

わたしの友達に夢中だった大学の同級生の男の子たちも

わたしを罵った男も

ほとんど名前は思い出せないけれどセックスの相手になった男たち

おねがい、

愛してほしい。

 

 

でもわたしはなぜ、

それだけのひとと関わっていながら

ひとりとして

「愛してほしい!」って言えなかったんだろう。

 

愛は見返りを求めないものです

愛してほしいと嘆く前にあなたから愛しましょう

期待しないことです

相手の気持ちはどうにもならないものです

連絡を待っている時間を、自分の人生のために使いましょう

重たい女、めんどくさい女にはならないように

追いかけるより「追われる」女になりましょう

 

そんなふうなアドバイスで溢れてる

わたしもそれを、「真実」だと思ってた。

ねえそうかもしれない。

 

でもわたし、

「愛してほしい」って、叫んでもいいかもしれない。

ものすごい醜くて、見苦しくて、重くて、めんどくさくても、

いままっさきに思い浮かべる男に、

「愛してほしい」って叫ぶことがわたしは出来るか?

焼けただれたその肌を見なければならない、といつからか脅迫のように思い続けていて

でも、怖くて、出来ずにいた。

平和資料館に行けば見られるのだろう。

格子模様が焼き付いている肌がそこにある、と、あの人と、あの人が言っていた。

 

昨日、二日分眠ったから、眠れなくてとうとう朝になって、いま、ひさしぶりにブログを書いている。

1時間くらい前はひさしぶりに絵を描いた。お粗末な絵だよ、

ぐちゃぐちゃの机の上を片付けていたらほわころくらぶの商品の納品書といっしょに白い厚紙がでてきたから、その厚紙に、絵を。

でも絵の描き方すらもう、わからない。

このあいだ前の職場のひとの個展に行って、そのひとは、クレヨンで描いていた。

下地にいっぱいクレヨンの色があって、上からつまようじとかで削り取るやつ、それをしていて、自由でちょっと幻想的で、かわいらしくて、すてきだった。

ますますそのひとが、好きになった。

(いまふと心の中で、そのひとを、応援してみる。)

 

それはいいんだけれど、その、後ろのクレヨンの色たちをあらわにするやつを自分もやってみたくなって、それって昔、中納良恵さんがやってたなーとか思いだして、

うん、わたしもラジオでそれ聴いてやってみたけれどうまくいかなかったなあ、とか思いだして、

でも、やってみた、明け方に。

 

ただクレヨン、

青、黄色、桃色、灰色、ぐちゃぐちゃと線を伸ばして混ぜ合わせて、

でもなるべく白は残らないように色で埋めて、

なんだか自由さがわざとらしい気がするけれど続けて、

なんとなく鳥の横顔のように見えてくる部分があったから、

色たちの上から真っ黒を、鳥のシルエットで塗りつぶし、

それから、

つまようじで、鳥の目や、からだの模様を描く。

 

 

 

あなた

謙遜しながら、卑下しながら、生きてきたから、

みんなそれを真に受けて、

あなたのことをバカだと思ってる。

 

あなたはあなたが信頼したひとに、それも静かで安心な空間でしか、心のことばを伝えないから、

あなたのなかにどれほど深い泉があるか、愚かな、多くの人々は知らない。

 

あなたが考え続けてきたことやその思考の深さ、

そしてその思考の潤滑油となってきた感覚の鋭さ、それを受け止める精神性の豊かさ

泣いているひとがそばにいるだけで涙があふれたり、遠い人の苦しい文章を読んだだけで自分が苦しむ悪夢を見る共感能力の高さ

語り切れないあなたのすばらしさ

みんなわたしは知ってる。

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さいごにアップした日記はちょうど140日前。

きょうは2017年11月4日

おどろくほど風の冷たい、

満月の日です。

 

自分を肯定していって、

肯定すること自体も肯定していこうと思うんだ。

なにもかも自分自身で。

 ここはご飯もおいしいしカワイイものもいっぱいあるしトイレも大体清潔だけれど、

自己肯定感だけは訓練しないと付かないようになってる。

そんで自己肯定感がないひとは排水溝に飲み込まれて消えてしまう。

しらないうちに息ができなくなってる。

 

「愛されたことがない、24年間も生きてきて」

って泣いてしまう時々。

だれでもいいから愛してほしくて体を投げ出すのだけれど、

けっきょくわたしの穴につっこみたいだけなんだろうな、

わたしってただの穴なんだなって、そういうふうに思って

わたしもあなたのこと、性欲のはけ口としてしか思ってないという態度をとって、

自分から離れてゆく。

 

数か月前、自分の好きな色を見つけて、

さいきん、じぶんに似合う色を見つけた。

パーソナルカラー診断とかではないよ。

自分自身で見つけた。

呪いの言葉かあるいは祈りのように何年間も、ひたすら続けた思考、

それをふっとやめてみて、

感覚に従って歩いてみた。

どちらも必要だった。

明け方ふっと目を覚ましたら、マッサージ用に枕元に置いていたゴルフボールをぎゅっと握りしめていて、ああ、心が休まっていないんだなと思った。

 

 

眠りながら手を伸ばして、握ったんだろうか。

 

ゴルフボールはベッドで仰向けになった体の下に置いて、体重をかける。

凝ったところにつよく押し当てられて、痛きもちよい。

 

朝・職場へ向かう道で、

夜・家へと向かう道で、

それぞれ同じ音楽を聴いている。iphoneで、付属のイヤホンで。毎日。

 

ふしぎなのは朝は雑味のないきれいな音なのに、

夜になるとごちゃごちゃした汚い音になっていること。

また朝が来るときれいな音に戻っているんだ。

 

監視業務、とても眠い。

とても眠いがすることもないので考え事を続ける。

考えごとの中身が、眠気によって支離滅裂になってゆくが眠気によってそんなことにも気が付かず、考えごとを続ける。つづけたまま、、いっしゅん寝落ち。

寝落ちした瞬間ーーその瞬間も、支離滅裂な考えごとは続けられているーー職場のえらいひとがやってきて、瞼を閉じている私にわざと大きい声で、「こんにちは」と声掛けをする。

わたしは瞼を開いて、「こんにちは」と返す。

心臓がばくばく。

なにについて考えていたか、頭から消滅する。

 

 

 

 

原爆ドームは「美しい」か

 

原爆ドームまで歩いて行った。

「美しいよ」と語りかけるつもりだった。

「あなたはチェコの建築家が建てた、モダンで立派な建造物だった。

きのう調べたけど日本で初めてバームクーヘンの製造販売をした場所だったんだね。

あなたがそんなふうに、新しい文化の発信地だったときの姿を、わたしはぼやけた黒白写真でしか知ることができないけれど

その当時だって美しかったんだろうね。それはいわばあなたの少女時代。

ある朝、8時15分、

ひとつの大きな光が落ちて

あなたは壊れ、崩れ、吹き飛ばされ、骨がむき出しになってしまった。

あなたの中にいた人たちは、一人残らず消えてしまった。

でもわたしはあなたと美しいと思ってしまう。

あなたは新しい「意味」を獲得した。

あなたの壊れたところ、そして残ったところ、

まるで神の采配みたいに完璧だ。

チェコの建築家は、その運命をわかっていて、あなたを建てたみたいに思える。

あなたは美しい」

 

わたしはそのように、不遜に不謹慎に、語りかけたかった。

 

コメダ珈琲スマホをいじりながらだらだらと過ごし、

19時過ぎ、原爆ドームへ歩いて行った。

それがほとんど唐突に、目の前に現れたとき、

わたしの喉は締め付けられて痛み、涙が醜くぼろぼろと溢れた。

目が離せなくて、見つめたまま、そばを歩いた。

 

濃紺のぺったりとした夜の風が、開ききった唇に流れ込む。

 

それは尊厳。例えようもない重さ。

「美しく」などなかった。

 

「美しい」とか「醜い」とか、そういう見方を一切はねのける

ただそこに、「原爆ドーム」があった。

「悲しい」とすら思わなかった。

 

「悲しい」と思う人もいるのかもしれない。

3年前に東京から来た友達とあなたを見たとき、

わたしは「美しい」と思った。

コンセプチュアルな現代アートみたいだ、と思った。

 

でもいまは、そんなこと思わない。

月曜の夜だけど観光客はいて、スマホで写真を撮ってゆく。

そのなかに、「美しい」と思う人もいるだろう。

「痛々しい」と思う人も。

「恐い」と思う人も。

「勝利の象徴だ」と思う人もいるかもしれない。

 

 もしかしてひとびとは、あなたにその時々の自分の中の何かを、投影しているのかもしれない。

きのうの夜、わたしはあなたに計り知れない尊厳と重みを感じた。

わたしはあなたを女性だとも感じた。

わたしはあなたの中に、入れたらと一瞬思った。

 

 

 

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(不快に思われた方がいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい。アクセス数は限りなく0に近い、ほとんど誰も見ていないブログで、自分のために書いているようなものです。甘えや自己陶酔など含めた内面のことをメモ的に書き残しています。)

自分という「毒母」

「それから、雨宮まみっていう名前がすごく好きです。暖かいのや冷たいのや、しとしとのや激しいのや、明るい日に悲しい日に、いろんな雨が感情みたいにいつもいつまでも、降っている場所。」

 

 

雨宮まみさんのこと 川上未映子

 

 

文章を書こうと思ったのに、頭の中がぐしゃぐしゃしていて、過食気味で体もぐしゃぐしゃしていて、あまりうまく書けない。

 

今日は休みで、勇気を出して社会人サークルにでも参加してみようと思っていたけれど

いろいろと言い訳めいたものをして家の中。午前3時に目覚めて、ずっとネットの、「女叩き」を見ていた。「ま~ん(笑)」みたいなやつ。

中学の頃から、そういったものをずっと見続けてしまう。

書き込んだりしたことはない。もうとっくに痛覚はマヒしていて、だから死んだ気持ちで、延々と見てしまう。スクロールをし続け、とりつかれたように、見続ける。

ひとびとはそんなもの、見なければいいのにという。

担当の精神科医もいう。「そんな書き込みをするのはごく一部の男性です。もっとほかのことに、目を向けてくださいよ」

15歳のときに目にして、忘れられなかったひどいスレッド。

ロリコン社会を批判した女性作家が、ネットの男たちの反感を買い、ひどいことばで容姿を罵られる。

検索してみたらまだでてきた。これだけは、読み返していつでも涙がでてくる。たぶん15歳とかそういうときにはこれをちゃんと「傷つきながら」読むことができていて、その感覚を思い出しているんだと思う。怒りとか悲しみとか、まだそのときにはあった。

 

雨でもないのに家の中で、何時間もそういうのを読み続けて、

そして何故か関係のない父親に当たる。

ひどい、最低な休日だと思う。

 

 

わたしは「わたし」に対して、毒親になっているのではないかとこのあいだ思った。

たとえばわたしに、そしてわたしの子どもに、朝鮮のルーツがあったとして、

そういった人々がネットで酷い言葉で中傷させられていることは紛れもない事実だけれども、

わざわざ、それにいちにちに何度も、何時間も、そういった書き込みを子に見せる親はいるだろうか?それはほとんど、「暴力」ではないだろうか。

こういう差別があると教えることは必要だと思う。

子どもがそういった書き込みを見つけて「これなに?」と聞いてきたら、教えてあげるほうがいいと思う。ネットの世界だけではなくて、外の世界にも「差別」が横たわっているということも、教えたい。そしてそれはぜったいにいけないことだということも。

でも、

わたしはわたしという子どもを、虐めすぎてきた。そう思う。

女という自分の性を、健やかに受け取ることができなくなってしまった。

「勘違いブス」と罵られることにいつもびくびくおどおどして、「いや、わたしに性的価値なんてないんですけど」とか「容姿が残念だってことはわかってますけど」とか無駄に前置きをするようになって、かわいいものに素直に手を伸ばすことができない。

どうせっていつも思ってて、努力を先延ばしにし続ける。いつも怠けてる。無理だって思ってる。

うつくしい絵画を目の前にしても、心の中の4割くらいが暗くなって固まっているから(割合はそのときによって変動するけど)真綿のように吸収できない。

 

なぜわたしはこんなに自分を虐めてきたのだろう。

自分に対して、重い重い鉄板で押し潰すように殴ってきたそんな感覚がある。

その鉄板にびっしりと書き込まれているのは過度に性的で下品で暴力的な言葉たち。

インパクトがあり、ショッキングだから一瞬目の前がまっしろになって気が付いたら目の前に鉄板が落ちてる。これで殴られたんだ。でも痛みはない。ただ見えないだけで、内部から壊れていってる。いつのまにか息ができなくなってる。わたしの内側に、わたしの首をぎゅーっと締めるひとがいる。

 

なぜわたしという母親は、こんなにもわたしを、痛めつけるのだろう。

なぜだろう。なぜ。

薄皮を一枚ずつめくって、耳を近づけてみるとわずかになにか聞こえてくる。

声だ。小さな声がする。 

 

 

「もう外にでることはやめたよ、お母さん。

だって外はものすごい悪意が満ちていて、怖いところだから。

だってわたしは、価値のない「女」だから。

やめたよ、お母さん。」

 

その言葉を聞いて安堵している、自分という「毒母」。