偶然日記

いまのテーマは愛と適切な距離感♡

ぱたん、

一か月くらい前かな、つまり10月のことだ。夜、駅で、10月だというのに、毛皮の女が歩いていて、その女はごく自然に、隣を歩いている男と、手をつないだ。お互いがどうじにふっと手を伸ばし合って繋いだ、という感じだった。

どんな顔か見てやろうと、追い抜いて、ふりかえってみると、その女の腹は膨らんでいて、つまり孕んでいた。幸福な夫婦。そのとたん、わたしは、生涯そのようなこととは無縁だろうなと悟った。男の人にかぎらず、どんな人間とも親密になることはできない。そのようにわかってしまった。

 

きょう、装丁のうつくしい詩集を買った。パソコンはまだ愚かだ。「そうていのうつくしいししゅう」を変換して、「想定のうつくしい刺繍」となってしまうとは。

谷川俊太郎の「あたしとあなた」という詩集。

この詩集を買ったことを機に、あの日の悟りは帳消しとしよう。

この詩集を今後、わたしがだれかと親密に結びつく、そのシンボルとする。

 

夜、駅でばったり友達に会う。いっしょに電車に乗って帰る。ヨカッタ。

暗殺の森

ゼミに行くつもりだったが乗り換えの駅で、手に持っていたはずのトートバッグがないことに気づき、ひきかえす。

トートバッグも無事みつかり、ふたたび電車に乗り大学へ向かうけれどE駅についたときにはゼミの時間は終わっていた。

大学へ向かう道のり、メロンパン屋のまえでゼミの先生に会う。

みちばたで、「暗殺の森」のことを解説してもらう、先生のおすすめしてくれた映画で、このあいだの夜、新宿へ観に行ったのだ。とてもよい映画だった。

別れ際、「がんばって書いてね」といってくださった。卒制の小説のことだ。そのことばが、そのことばだけが、すごく生きる希望になる。

今朝の夢の中にでてきたような、ハンバーグ定食を食べて帰る。

夜、数か月ぶりに、すこしかきすすめることができた。

 

 

 

 

死ぬことにしました。

9月、とてもたのしかった。

毎晩、湯船の中で恋の本を読んでは内省し、自分の内側についてのあらたな発見をするのがたのしかったのだ。毎日、あまりにもたくさんの気づきがあった。気づきハイであった。どんどんと前向きになってゆく。好きな人をご飯に誘って「やめとく」と断られたときは、たしかにとてもかなしかった。けれど眠って、次の朝お風呂に入っている間に立ち直ってしまった。「じぶんのことばかり、考えていたわ!」と「気づいた」のだった。

スーパームーンの日、渋谷の喫茶店でノートを広げ好きな人のことを書いた。

プライドや照れや劣等感が複雑に絡み合った、6月27日のことを書いた。

思い出したくないこととして、ふたをしていたこと。

書き終わって、公園へ行った。大きな月を写真に収めた。

「わたしはその好きな人をみつめているだけだったけれど、いまは、そのひとをつきぬけたところにある星を見ているの!」と興奮しながら母に電話して伝えた。

たいへんにすがすがしかった。その日が、その夜が、わたしの気づきのピークだった。

もうすぐ死ぬだろう、と思った。人生の学びが終わったような気がした。