偶然日記

いまのテーマは愛と適切な距離感♡

無垢な人たち

くるみってなんですか

アサガオなんて聞いたことありません

すいみー?いやぁ、わからないですねぇ。

国語の教科書に載っていたお話?

それは漢字の勉強ですか?

シャンプーの匂いが好きです。

夏祭りには行きますか?

わたしは行けないんですけど。

きゅうりのやつが好きです。

いかげそですとか……

好きな和菓子はもみじ饅頭です。

シャンプーはラックスを使っています。

ありがたいことだと思っております。

ガーベラです。

「俺のエクレア」に憧れてて……

アカミミガメだぁ

これは先生のアイデアで……

しゃけの皮……

それは焼いたしゃけですか?生のものですか?

あたしンちで見たんですけど

はぁれぇくいーん……

 

ミサンガ?

ハサミで切ればいいじゃないですか。

 

………

無垢な人たち。

まるで天使や鳥みたい。

ただそんな比喩は伝わらない。

それに今日は6月16日だから、

「お好みで」って言われても

4月1日に変更なんて出来ない。

 

でもそんな大切なこと、あなたたちに言われるまで気がつかなかった。

 

 

444字

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たそがれムーミン

傘の持ち手の部分なのでした。

 

きょうは水を二度零した日。

どこかで高揚、混乱してる部分があるのかな。

 

わたしが水をこぼす時は重なっていて日に何度かこぼす。

「動揺している」

「その場にいてはいけない気がしている」

「気もそぞろになっている」

「混乱」

「気持ちの高ぶり」

 

とかいろんな背景はあるのだと思うけど、

「場を清めたい」

という深層心理もあるかも。

 

今朝は朝から玄関掃除をして靴も捨て、アロマの講座でバスソルトも作り、

あしたは拭き掃除もしたいなと思っていた。

結果的に夜、水をこぼしたことでそのあとの始末で部分的にではあるけど床やテーブルの拭き掃除になった。

 

 

https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12480656250.html

 

この記事を見て拭き掃除、したくなったのです。

 

夜はタクシードライバーの始まりのところを少しだけ見る。

大好きな映画。

若い頃のロバート・デニーロ、まっすぐすぎる知人に似てる。

過去のわたしへ

このブログの過去の記事を読み返してたら、あの頃の深い悩みの中にいたわたしに、返信をしたくなった。

 

あの頃のわたしへ。

今のわたしはね、

世界に対する見方もおだやかになったし、

自分のことも好きだと思えるし、

恋人がいなくてもわりと自由な気持ちだし、いつかできるだろうと思っているし、

男の人もあんまり苦手じゃなくなったよ。目を見ておだやかに話せるようになったよ。

甘いもののことを「スイーツ」と呼ぶのはまだ少し照れはあるけど、できるよ。「ランチ」なんて平気で言えちゃうよ。

すてきな女性らしいワンピースも着れるよ。着て行ったらたくさんの女の子たちに褒めてもらったよ。

パーマもかけたよ。すごくお気に入り。

 

いまでもフェミニズムジェンダー研究について深い関心があるし性差別に対しては怒りを抱くよ。そのことについて軽く意見を述べたり怒ったりすることもある。でも言い方が柔らかくなったのかみんな尊重して聴いてくれるよ。

 

 

あなたの真剣さや深い絶望感

その中で勝ち取った種が

やわらかいきれいな花を咲かせていま26歳のここにある。

 

あなたは世界を和ませるために生まれたのかもしれないね。

 

ありがとう。

盛大にこけて、やなせたかしのすごさが分かった

盛大に転んだ。両膝と右ひじ擦りむいた。最後に「こけた」のはいつだか思い出せないが、子供の時だとおもう。

今朝見た夢も含め、ものすごい気づきに溢れた一日だったので、そのことを書き残したいけどなむなむなのでまた今度。(追記: ねむねむと入力したはずなのに「なむなむ」って!こわ)

生理になるかこんな風に派手に転んで出血しない限り、自分の中に「血」が流れていることを忘れてしまうようなぼんやり日常。

でもだからこそ「手のひらを太陽にすかしてみれば 真っ赤に流れる僕の血潮」

と書いたやなせたかしは本当にすげえなと思った。

血潮なんて見えないじゃん、と、この歌を鼻で笑ったことがあるけれど、

見えない血潮を見ることのできる

激しい命を感じることのできる

その目の力。

 

エロもバイオレンスも一切出てこないアンパンマンの世界が、

激しく生き生きしてるのは作者にその「血潮」を見る力があったからなのかな……。

 

と、思ったり。

ひさしぶりに恋した

バスの中でその人に教えてもらった小説を読んでいたら、その人のかわいらしさとか純粋さとかが胸に突き刺さってきて、ああわたしはこのひと、この小説を教えてくれたその「女の子」が好きで、これは恋なんだ。と、思って少し泣いた。

昔から自分はバイセクシャルではないかと思っていたし、ジェンダーもあいまいだった。ここ数年は定義しない生き方を選択し楽になってきたけど、

「ひさしぶりにカウンセリングに言ってこのことを話さなきゃ」と思った。

でもほんとうは、好きになるのが異性から同性になったってだけで、カウンセリングに行かなきゃと思わせる世界がもう生きづらいよ。

移り変わってく。そんなの自然なことじゃん。

 

バスの中でその女の子のことを思い、セクシュアリティーが季節のように移り変わる、それがあたりまえの惑星の暮らしを夢見た。

そこでは女の人の歌声が、流れている気がする。