「それから、雨宮まみっていう名前がすごく好きです。暖かいのや冷たいのや、しとしとのや激しいのや、明るい日に悲しい日に、いろんな雨が感情みたいにいつもいつまでも、降っている場所。」
雨宮まみさんのこと 川上未映子
文章を書こうと思ったのに、頭の中がぐしゃぐしゃしていて、過食気味で体もぐしゃぐしゃしていて、あまりうまく書けない。
今日は休みで、勇気を出して社会人サークルにでも参加してみようと思っていたけれど
いろいろと言い訳めいたものをして家の中。午前3時に目覚めて、ずっとネットの、「女叩き」を見ていた。「ま~ん(笑)」みたいなやつ。
中学の頃から、そういったものをずっと見続けてしまう。
書き込んだりしたことはない。もうとっくに痛覚はマヒしていて、だから死んだ気持ちで、延々と見てしまう。スクロールをし続け、とりつかれたように、見続ける。
ひとびとはそんなもの、見なければいいのにという。
担当の精神科医もいう。「そんな書き込みをするのはごく一部の男性です。もっとほかのことに、目を向けてくださいよ」
15歳のときに目にして、忘れられなかったひどいスレッド。
ロリコン社会を批判した女性作家が、ネットの男たちの反感を買い、ひどいことばで容姿を罵られる。
検索してみたらまだでてきた。これだけは、読み返していつでも涙がでてくる。たぶん15歳とかそういうときにはこれをちゃんと「傷つきながら」読むことができていて、その感覚を思い出しているんだと思う。怒りとか悲しみとか、まだそのときにはあった。
雨でもないのに家の中で、何時間もそういうのを読み続けて、
そして何故か関係のない父親に当たる。
ひどい、最低な休日だと思う。
わたしは「わたし」に対して、毒親になっているのではないかとこのあいだ思った。
たとえばわたしに、そしてわたしの子どもに、朝鮮のルーツがあったとして、
そういった人々がネットで酷い言葉で中傷させられていることは紛れもない事実だけれども、
わざわざ、それにいちにちに何度も、何時間も、そういった書き込みを子に見せる親はいるだろうか?それはほとんど、「暴力」ではないだろうか。
こういう差別があると教えることは必要だと思う。
子どもがそういった書き込みを見つけて「これなに?」と聞いてきたら、教えてあげるほうがいいと思う。ネットの世界だけではなくて、外の世界にも「差別」が横たわっているということも、教えたい。そしてそれはぜったいにいけないことだということも。
でも、
わたしはわたしという子どもを、虐めすぎてきた。そう思う。
女という自分の性を、健やかに受け取ることができなくなってしまった。
「勘違いブス」と罵られることにいつもびくびくおどおどして、「いや、わたしに性的価値なんてないんですけど」とか「容姿が残念だってことはわかってますけど」とか無駄に前置きをするようになって、かわいいものに素直に手を伸ばすことができない。
どうせっていつも思ってて、努力を先延ばしにし続ける。いつも怠けてる。無理だって思ってる。
うつくしい絵画を目の前にしても、心の中の4割くらいが暗くなって固まっているから(割合はそのときによって変動するけど)真綿のように吸収できない。
なぜわたしはこんなに自分を虐めてきたのだろう。
自分に対して、重い重い鉄板で押し潰すように殴ってきたそんな感覚がある。
その鉄板にびっしりと書き込まれているのは過度に性的で下品で暴力的な言葉たち。
インパクトがあり、ショッキングだから一瞬目の前がまっしろになって気が付いたら目の前に鉄板が落ちてる。これで殴られたんだ。でも痛みはない。ただ見えないだけで、内部から壊れていってる。いつのまにか息ができなくなってる。わたしの内側に、わたしの首をぎゅーっと締めるひとがいる。
なぜわたしという母親は、こんなにもわたしを、痛めつけるのだろう。
なぜだろう。なぜ。
薄皮を一枚ずつめくって、耳を近づけてみるとわずかになにか聞こえてくる。
声だ。小さな声がする。
「もう外にでることはやめたよ、お母さん。
だって外はものすごい悪意が満ちていて、怖いところだから。
だってわたしは、価値のない「女」だから。
やめたよ、お母さん。」
その言葉を聞いて安堵している、自分という「毒母」。