生理前落ち込みの日々
お前なんか死んだほうがましだ、生きている価値がない
そんなフレーズが頭の中でえんえんと。
くるしい。
生理前落ち込みの日々
お前なんか死んだほうがましだ、生きている価値がない
そんなフレーズが頭の中でえんえんと。
くるしい。
無理じゃないよ。
思い返すと
これまで好きになった人、男女問わず、みんな、
ゆっくりしゃべるひとだった。
わたしも話し方がゆっくりしてると言われるのだが、
子どもの頃は早口で、友達に「早すぎて何言ってるかわからない」と笑われるほどだった。
高校で仲良くなった一つ上の女性の先輩が、ゆっくり、おだやかに話す人で、
彼女に憧れていっしょに過ごすうちに今の話し方になったのだった。
だからなんだ、
っていう話だけれど。
せかされるのが嫌いだから、
考える猶予を与えてくれるような、ゆっくりとした喋り方の人に安心感を憶えるのだろう。
恋っていろんな種類のものがあると思うが、
わたしの場合ある種の恋が発生すると、
芸術に胸を揺さぶられるようになってゆく。
それまで聴かなかったジャンルの音楽を聴いて涙が流れたり
深夜にTVで観るクラシック映画がやけに”入ってくる”。
雲や月、つまりは空のふしぎな美しさが、より際立って見える。
つまりはセンシティブになってきている。恋の発生時は。
混乱もしている、どこかで。
全くこんなことが発生しない恋もあって、
そういう恋のほうがきっとうまくいくんだろう。
もう定員さんの圧に負けて、あるいはご機嫌取りのために、お金を払わない。
定員さんに限らずその場や目の前の圧力に流されて買い物をしたり、何かを申し込んだり、しない。
ちいさな違和感ややだな、合わないな、って気持ちに気づいたら、勇気ある撤退を。
そして、ここからがだいじ。
自分が、これはほんものだ、心地よい、と思ったものや人へは、喰らいついてゆく。自ら飛び込んでゆく。今住んでいる土地から離れていても、そこへゆく。
目先のものにお金を使わず、自分の直感やちいさな心の声を聴き逃さずたいせつにして、自分がほんものだ、というものにお金を支払う。自分がほんものだ、すきだ、大切にしたい、心やすらぐ、こわくない、純粋だ、と思えるひとたちに、ついてゆく。
自分をだまさない。自分をだましている人にもついてゆかない。はなれる。
そして毎月たいせつなカフェでゆっくりとお茶をする時間をとる。
そして……。
わたしはやさしく触れるセラピストになる。