偶然日記

いまのテーマは愛と適切な距離感♡

風景

「どこに座ろうと、そこで僕は生活できる。風景は僕から展開してゆく」

 

『森の生活』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

 

f:id:guuzenguuzen:20180206213920j:plain

 

今日飲んだお茶。

台湾の、「凍頂龍眼金萱(とうちょうりゅうがんきんせん)」。

香ばしくあったまる。

朝は生涯記憶に残しておきたいほどの粉雪。

「言葉はヴィールスのように人を侵しつづけ、沈黙という抗体すらもう役に立たない。書物はパンドラの箱、だが今さらページを閉じても手遅れだ。言葉に魂を吸い取られて、人はゾンビのようにさまよっているではないか。」

 

「メランコリーの川下り」谷川俊太郎より引用

詩を書き留めておきたい

できるだけたくさん。

 

「六月のうた」谷川俊太郎

あの日もあなたを好きだったのに

あんなに哀しかったあの日

 

あの日も空は青かったのに

あんなにうつろだったあの日

 

人気(ひとけ)のない公園で

いつまでもぶらんこに座っていたあの日

アルバムにないあの日

日記のつけられなかったあの日

 

いつかはあんなに忘れたかったのに

今は忘れてしまうことが怖しい――

あの日わたしは二十歳だった

午前3時に目が覚めてそれから、眠れない

リビングと母の寝室を行ったり来たり

母が目を覚ますのが待ちきれなくて

7時過ぎ、起こしに行く

 

昼、母がテレビで映画を見ることすらさびしくてしてほしくない

ほんとうはいっしょに踊りたい

眠れる森の美女の曲で

 

夕方、こたつに脚を入れて横になっていると

それが階段を下りてくるのがわかる。

鬱……。

そうして鬱はわたしの横に居座る。

なつかしい鬱。

こんにちは鬱。

ひさしぶり鬱。

 

鬱は心臓の鼓動を、音のする重い沈黙に変える。

この重みを、

抱えてわたしは、

 

 

 

 

 

「星野君のヒント」田村隆一

 

「なぜ小鳥はなくか」

プレス・クラブのバーで

星野君がぼくにあるアメリカ人の詩を紹介した

 

「なぜ人間は歩くのか これが次の行だ」

われわれはビールを飲み

チーズバーガーをたべた

コーナーのテーブルでは

初老のイギリス人がパイプに火をつけ

夫人は神と悪魔の小説に夢中になっていた

 

九月も二十日すぎると

この信仰のない時代の夜もすっかり秋のものだ

ほそいアスファルトの路をわれわれは黙って歩き

東京駅で別れた

「なぜ小鳥はなくか」

ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた

非常に高いところから落ちてくるものに

感動したのだ

そしてまた夢のなかへ「次の行へ」

ぼくは入っていった

「真理に照らしてこう言おう。あなたが、あなたのわざを天国のためとか、神のためとか、あなたの永遠なる浄福のためとか、つまりは、外に立てたものからなすかぎり、あなたはけっして正しくはないと。たしかにひとはあなたを認めてはくれるであろうが、しかしそれが最善なことではない。なぜならば、内面への沈潜、敬虔な祈り、甘美な法悦、あるいは神の特殊な恩寵の内にあるほうが、かまどの火のそばや、うまやにいるよりも、多くのものをうることができると思い違いをするならば、あなたも、神をとらえ、その頭にマントをかぶせて腰かけの下に押し込めてしまうようなものだからである。

なぜならば、神をある仕方で探す人は、その仕方を手に入れるだけで、その仕方のうちに隠れる神をとらえることがない。しかし神を、いかなる仕方もなしにさがす人は、神をあるがままの姿でつかむのである。そのような人こそ、子と共に生きる人であり、つまりは命そのものなのである。だれかが命に向かって千年もの間、「あなたはなぜ生きるのか」と問いつづけるとしても、もし命が答えることができるならば、「わたしは生きるがゆえに生きる」という以外答はないであろう。それは、命が命自身の根底から生き、自分自身から豊かに湧き出ているからである。それゆえに、命はそれ自身を生きるまさにそのところにおいて、なぜという問いなしに生きるのである」

 

エックハルト説教集』より引用