夜、母のお風呂を待っているあいだ、
昔好きだったハナレグミのカバーアルバムを聴いていたら、
こみあげてくるものがあってぼろぼろと涙をこぼしながら冷たい窓に額を押し当てていた。
「わたしは ばかだ」と何度も思った。
ばかだ、と気づいた。
こんなふうに、魂のかたちがくっきり見えるような表現から、
わたしはずっと逃げていた。
2年前わたしは入院した。ICUと精神科に。
それからだとおもう。
おだやかで、ざわざわしない日常と引き換えに、
芸術と、わたしの大事な衝動性が奪われていった。
いや、自分で選んだのだ。もう傷つかないように、揺さぶられないように、魂の表現からは距離を置こうと。
そうして気がついたらわたしにはわたしの魂のかたちがわからない。
用意していたようなフレーズや、洗い流さないトリートメントや、ホ・オポノポノや、健康法や静かなピアノ曲や占星術や整体やカモミールティーやなんやらで
わたしの魂はすっかり着ぶくれしてしまった。
ハナレグミの、このカバーアルバムを聴いていた時はいつだっけ。
小説家になりたかった、小説ばっかり書いていた、大学生の頃かな。
寝癖も直さず学校へいってた。
ハナレグミが「悲しくて 悲しくて」と唄うと、ほんとうに静かな悲しさが流れ込んでくる。孤独な少年が口ずさんだ鼻歌を、こっそり聴いてしまったような。
そのようなイノセンスを、あの日から置き去りにしてしまっていた。
おだやかでなくていいから、また傷ついて、揺さぶられていいから、
わたしはまた、いまからでもわたしのたましいにくっきりと歩みたい。