好きとか嫌いとか、
目の前の人を判断することが急に恥ずかしく未熟なものに思えてきて
また人の心なんてわからないものなのに、目の前の人を
計算高いとか、優しいとか、いいひと、とか、
あれこれ裁くことの不自由さにも気がついた。
だからそういうふうなブログの記事は消すか非公開にしました。
たとえばAさんがBさんのことを、
「ネガティブ」と思っていることに固着していると
他の面が見えなくなってくるし(ポジティブな面ももちろんあるはず)、
次第にBさんのほうも、無意識的なところで「Aさんにネガティブと思われているのではないか」という不安や緊張を抱えることになって、
AさんとBさんが触れ合うときはいつもお互い見えない緊張状態に陥り、
Bさんは「ネガティブと思われたらどうしよう」という緊張から
「ネガティブに見える」行動をとってしまうという「ポカ」をしちゃう。
それでAさんもますます「Bさんはネガティブ」という思い込みを強めてしまう。
これは大学のときにわたしと知り合いの間に起こったこと。
この場合Bさんとはわたしのことなんです。
わたし(B)は実際「Aさんにあんまりいいイメージを持たれていないだろうなぁ」という不安から、次第にAさんと距離を置くようになりました。
ひとを分析する、裁く、一面しか見ない、
ということの未熟さにようやく気がつきました。
わたしもほんとうにいろんなひとを裁きました。
心の中で裁いたこともあるし、言葉をぶつけたこともある。
それがどれだけ自分も相手もまた、周りの人も空間も傷つけ息苦しくさせていたか。
ようやく少し、わかってきました。
「はっきり言うと、あなたの持っている記憶を恋人はそのまま演じているだけなのです」
『ホ・オポノポノライフ ほんとうの自分を取り戻し、豊かに生きる』カマイリ・ラファエロヴィッチ著