夕方、姿見の前で下着姿のじぶんをじっと見つめたり、
ケータイで写真を撮ったりしていたら、
思っていたより太くたくましいわたしがそこにいたのだけれど、
わたしの体について理解が深まり、
じぶんの体を愛するってこういうことかってすこしわかったし、
セックスについて、いままで自分がしてきたセックスは
文字通り「体を投げ出す」捨て身のものだったと思い至った。
自分の体について何もわかっておらず、見ようともせず、
いわば目隠しをした状態で、(セックスの場面で目隠しって比喩はなんだかわかりずらいけれど)
「はい、性器を露出しますよ、これで興奮するんでしょあなたたち男は」
みたいな、カンカクでセックスに臨んでいたとおもう。
それって自分と目の前の男性を「分断」する態度で、
自分も、そして相手も人間扱いしていなかった。
だからわたしにセックスの記憶ってあんまりないんだ。
コードを抜いて、ムカンカクの機械になってセックスしているから。
足の爪を朱色に塗ってもらってもいまいちエロさがでなかったわたしは、
その足の先が、どういうふうに感応するかを知ろうとしなかったんだとおもう。
子どものころからなんか自分の脚の太さが嫌いで、自分がみじめで、
だれからも見られなければいいなと透明人間みたいな気分で生きてきた。
そのおかげか火花バチバチの三角関係とか
女同士の嫉妬とか
そういうのには巻き込まれなかったけど
そのかわり自分が主体となって、
だれかの目にとまる存在となって
世界に飛び込むことはいっさいない。
世界の真ん中は、激しい炎の色の、うつくしいグラデーションの円ではないか、と思っている。
その真ん中を、漸く見つめる。
やっと言えるんだ。長かった。
「あたしは透明じゃない。」