「言葉はヴィールスのように人を侵しつづけ、沈黙という抗体すらもう役に立たない。書物はパンドラの箱、だが今さらページを閉じても手遅れだ。言葉に魂を吸い取られて、人はゾンビのようにさまよっているではないか。」
「メランコリーの川下り」谷川俊太郎より引用
午前3時に目が覚めてそれから、眠れない
リビングと母の寝室を行ったり来たり
母が目を覚ますのが待ちきれなくて
7時過ぎ、起こしに行く
昼、母がテレビで映画を見ることすらさびしくてしてほしくない
ほんとうはいっしょに踊りたい
眠れる森の美女の曲で
夕方、こたつに脚を入れて横になっていると
それが階段を下りてくるのがわかる。
鬱……。
そうして鬱はわたしの横に居座る。
なつかしい鬱。
こんにちは鬱。
ひさしぶり鬱。
鬱は心臓の鼓動を、音のする重い沈黙に変える。
この重みを、
抱えてわたしは、
「真理に照らしてこう言おう。あなたが、あなたのわざを天国のためとか、神のためとか、あなたの永遠なる浄福のためとか、つまりは、外に立てたものからなすかぎり、あなたはけっして正しくはないと。たしかにひとはあなたを認めてはくれるであろうが、しかしそれが最善なことではない。なぜならば、内面への沈潜、敬虔な祈り、甘美な法悦、あるいは神の特殊な恩寵の内にあるほうが、かまどの火のそばや、うまやにいるよりも、多くのものをうることができると思い違いをするならば、あなたも、神をとらえ、その頭にマントをかぶせて腰かけの下に押し込めてしまうようなものだからである。
なぜならば、神をある仕方で探す人は、その仕方を手に入れるだけで、その仕方のうちに隠れる神をとらえることがない。しかし神を、いかなる仕方もなしにさがす人は、神をあるがままの姿でつかむのである。そのような人こそ、子と共に生きる人であり、つまりは命そのものなのである。だれかが命に向かって千年もの間、「あなたはなぜ生きるのか」と問いつづけるとしても、もし命が答えることができるならば、「わたしは生きるがゆえに生きる」という以外答はないであろう。それは、命が命自身の根底から生き、自分自身から豊かに湧き出ているからである。それゆえに、命はそれ自身を生きるまさにそのところにおいて、なぜという問いなしに生きるのである」
『エックハルト説教集』より引用
何者かになりたい、
ってみんないつまでも思っているものなのかな。精神が未熟なうちだけかな。
幼馴染と会って、春から保険会社に就職すると聞いて、いま、この真夜中落ち込んできて、ひさしぶりに自殺を考えた。
美術館の仕事を辞めてから、まだ就職先が決まっていない。
来月から大好きなギャラリーで時々店番をするけど、そこではお金はもらえないし。
でもお金のためじゃないんだ。
美術館でお客さんの質問に答えたり、ガイドをする仕事をしていて、楽しかったけれど、「君は学芸員じゃないんでしょ(笑)だったらわからないだろうから質問しない」とかおっさんに言われたりして、なんだか、何者でもない、何の資格もない自分を心底変えたくなった。
いま、車の運転免許すら取れなくて中学不登校からの再びの挫折。
すごく大好きな中国茶のお店があって、店主の女性がきれいな、堂々とした手つきで、おいしいお茶を淹れてくれる。きょうもそこで頂いてきた。
わたしはおいしいお茶すら淹れられない。
いつもいつも自分を責めていて、
眠たいのに床に就くことすら許せなくて、
読了しなきゃと思っている本を読んでいたらどうしても許せない言葉を思い出して
何者でもない自分に
いつもおどおどきょろきょろしている自分に心底嫌悪して、
これ以上卑下できないくらいに卑下してるからもう死ぬしか卑下の方法はなくて。
でも。
このあいだ、詩集を開いて、お友達に詩を一つ送ってみた。
彼女のことをイメージして、あたたかくやわらかい、パンの詩にした。
「ありがとう。泣いちゃった」って言われた。
そのすこし前に知り合いの個展に行って、感想をラインで送ったら、
「まりなちゃんはその人がうれしいことを言ってくれる才能があるね」って言われた。
なんだかそのふたつに、共通する希望的未来があるような気がして、
まだ死にきれないんだ。
「女というのは魂につけることのできる最も高貴な名前である」
エックハルト説教集というのを読んでいたら、こう言っていたんだよ、エックハルトが。
呑み込むと、
生み出す。
わたしは子どものころから、車は運転しないと固く誓っていた。
車は恐ろしい、ちいさな、無力なひとびとをひき殺し、ばらばらにし、伸ばし、ぼよぼよにし、あるいは生殺しにし、火だるまにし、欠陥させ、沈黙させる。
きょう教習所で、赤い車の中で、
わたしはボロボロ泣いた。
こわいんだ、最終試験で40キロ出すなんで無理だよ。坂道なんて登れない。
指導員に連れられて、ロビーに行って、教頭が出てきて、「落ち着いてください」と言われた。とっくに泣き止んでいるのに。静かに泣いていたのに。
わたしはね、
月を見ながら歩くのが好き。
月とわたしは
一直線に結ばれてる。
それだけでいいと思ってしまう。
お父さん、
教習所辞めていい?
世界に伝えることがあるとしたら、
あるとしたら、
わたしは月を見ながら歩く夜の豊かさを。
目の前の優しい人だけに、伝えたい。